家康殲滅作戦 -2
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そして、家康が大阪を空にしたタイミングを見計らって、三成が大阪に乗り込んで秀頼に家康の非を訴え、秀頼から†家康追討†の許可を得ます。
秀頼から下された家康追討の命令書を掲げれば、全国の諸大名は三成の味方をするでしょう。大阪で軍勢を整えた三成軍は、家康を追って東海道を東に進み、一方景勝と兼続は北から家康と決着をつけるべく南下します。
あわれ家康は江戸か、東海道のどこかで上杉軍と三成軍の挟み撃ちをうけて滅ぼされるわけです。
以上が、三成と兼続が立案した計画で、この†家康殲滅作戦†を実行するべく、兼続は主である景勝と相談し、予定通り秀頼の許可を得て、奥州へと向かったのでした。