家康と秀吉の微妙な関係-1
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日本史に少しでも詳しい方なら、戦国時代に天下の覇権が誰に渡ったかは、よくご存知だと思いますが、群雄割拠の時代を乗り切り、天下統一をほぼ成し遂げたのは織田信長です。
しかし、信長は志半ばで明智光秀の謀反に遭って、その命を落とします。その信長の遺産をそっくり受け継いだのは、当時信長の家臣だった羽柴秀吉、つまり豊臣秀吉だったのですが、同じ頃家康は信長との同盟を結んでいる立場で、決して†信長の家臣†ではなかったのです。
織田家の一家臣に過ぎず、出目は足軽以下だった秀吉が、†信長の後継者†に出世するのは、そう簡単な事ではなく、当時織田家の筆頭家老だった柴田勝家(しばた かついえ)と戦ったりしましたが、こうした†織田家の跡目争い†に巻き込まれる事を嫌った家康は、織田家の内紛に関して当初傍観の姿勢を示してノータッチでした。
その間家康が何をしていたかといえば、信長が死ぬ直前に支配地になった信州や甲斐地方(現在の長野・山梨あたり)で、織田家の支配が行き届いていない地域を外交や小戦をしかけて、自らの領地にしていたのです。
この時、家康は...というより戦国武将たちの多くは、秀吉と他の家臣の間で繰り広げられる織田家の跡目争いは長引き、織田家の支配圏はバラバラになってしまうだろうと思っていました。
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