長曽我部家




石田三成が正式に挙兵した時点で、西軍に属した主だった大名を紹介していきましょう。

長宗我部盛親(ちょうそかべ もりちか)は、四国の土佐(現在の高知県)22万石を支配する†四国の覇者†ですが、実際四国一の地位を築いたのは、盛親の父・元親(もとちか)で、その元親が死んだのは、この『関が原の戦い』が勃発した前年でした。

そんなわけで盛親は家督を継いだばかりだったのですが、父・元親が存命の頃からすでに長宗我部家を継ぐ事は決まっており、跡目争いを起こすことなく、無事家督を継いだわけです。

盛親は当初、家康おやぢの会津討伐における動員令に従って出兵したわけで、三成が大阪で挙兵した時も無視して、家康の行軍に追いつこうとしましたが、近江の水口(現在の滋賀県)を行軍中に、西軍指揮下で行動する部隊に進路を塞がれて、仕方なく西軍に属しました。

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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話