関が原へ!




前線に到着した家康おやぢは、さっそく東軍の主だった大名を集めて軍議を開きました。

東軍の基本方針は、

†大垣城に居る石田三成を、野戦に引きずり出して打ち破る! ヾ(`◇´)9†

というものです。

前述しましたが攻城戦、いわゆる†城攻め†というのは、城に立て篭もっている人数の10倍の兵力が必要とされると言われています。

東軍と西軍の兵力については、諸説が入り乱れており、ハッキリした人数は不明なのですが、決定的な兵力差というものはなく、†裏切り大名を考慮しない†表向きの兵力は、ほぼ拮抗していたと思われます。

そんな状態で攻城戦など出来るわけはなく、その上秀吉は城攻めを大変得意としていたのですが、実は家康は野戦では†最強の武将†ですが、城攻めは大の苦手だったのです。

そこで家康は三成をおびき出す為の†偽情報†を流す事にしました。それは、

「東軍は、大垣城界隈に集結している西軍を無視して、三成の佐和山城を攻め落とした後、大阪城に攻め込む ヽ(`皿´)9」

というモノでした。 もっともこの†偽情報†は三成をおびき出す手段ですが、もし三成がこの手に乗らず、大垣城に篭ったままであれば、家康は†偽情報通り†に佐和山城を攻略し、最終的に大阪城に攻め込んでいたでしょう。

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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話