上杉家動かず!




家康おやぢが、『関が原の戦い』において、犯した†痛恨のミス†といえば、この秀忠軍の遅参だけだと言えるでしょう。

一方、石田三成にはいくつもの†読み違い†がありましたが、三成と直江兼続が当初立てた計画では、反転した家康軍を、上杉軍が追撃する予定でした。

そうした†東海道挟み撃ち作戦†が実現しなかった理由も、ここで書いておきましょう。

当初、上杉景勝と兼続は三成との約束通り、会津に戻り領地内に砦を新築したり、すでにある城や砦の改装を行う一方、大規模に兵を募集し、会津全体を要塞化しました。

この要塞都市で、家康率いる上杉討伐隊と対決する気でいましたが、ご存知の通り小山評定で家康は会津への攻撃を中止し、反転して三成との戦いに向かってしまいます。

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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話