三成挙兵計画進行中...
さて、この辺りからだんだん登場人物が増えて、時間の流れも遅くなってきます。家康おやぢが断腸の重いで家臣の鳥居元忠と別れて伏見城を発ったのは、秀吉が死んでから、早2年が経過している慶長5(1600)年7月上旬の事です。
同じ頃に東海道を、軍勢を率いて進む大名の中に大谷吉継(おおたに よしつぐ)という武将がいました。彼は越前敦賀(今の福井県敦賀市)に5万石の大名で、石田三成と同じく†秀吉子飼いの家臣†でした。
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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話