《関が原》 開戦!

日本全国の大名に大きな影響を与え、注目されている『関が原の戦い』は、前述の様に慶長5(1600)年9月15日に始まります。

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両軍の布陣は午前4時頃に終了したようですが、夜明け前に夜襲を掛ける事もなく、夜が明けるのを待っていたのですが、夜が明けた後も、ようやく上がった雨が霧になって視界はほとんどなく、両軍の激突はなかなか起こりませんでした。

その霧の中でご機嫌斜めだったのは家康おやぢで、これまでほとんど計画通りに進んできた天下盗りの作戦ですが、〝いよいよ実戦〟という土壇場で、徳川軍の半分である3万8千人の兵を預けた秀忠軍が、決戦に間に合わない事がわかったのです。

霧で視界が悪い為に、床机に座る家康のすぐ傍を通ってぶつかりそうになった騎馬武者に対して家康はブチ切れ、いきなり抜刀すると手討にしようとしたという話も残っています。

しかし、側近がそれを止めると、そこでようやく家康は持前の自制心を取り戻し、以後戦いが終るまで取り乱す事はありませんでした。

さて、『関が原の戦い』で実際の戦闘が始まったのは、ようやく霧が晴れ始める午前8時頃だったと言われています。

最初の衝突があったのは東軍の最前線に陣を布いていた福島正則と、西軍の宇喜多秀家の隊でした。

両軍の間に距離があれば、鉄砲隊の撃ち合いから始まるはずですが、霧で視界がきかなかった上に、両軍の先発隊が異様に接近してしまった為、合戦はいきなり槍を主力にした肉弾戦から始まったのです。

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