《関が原》 孤立した島津隊

さて、小早川秀秋の裏切りをきっかけに形勢が決まり、『関が原の戦い』は東軍の大勝利という形で終ろうとしていました。

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戦場を駆け巡っているのは逃げる西軍兵と、それを追う東軍の兵士で溢れていましたが、そんな〝残党狩り〟も落ち着き始めると、東軍兵士たちは、戦場に〝妙な軍団〟が居る事に気づきます。

位置的には石田三成が本陣にしていた笹尾山の付近で、戦闘態勢を整えたまま、降伏するわけでもなく、総攻撃を仕掛けてくるわけでもありません。この部隊は島津義弘の率いる薩摩兵たちでした。

前述の様に関が原の前哨戦において、前線に置き去りされそうになったり、夜襲の提案を即時に却下されたりして、義弘はすっかり、三成の指揮で戦う事がイヤになっていました。

ですから、実は『関が原の戦い』では島津隊は

「この戦は、我々のやりたいようにやらせてもらう ( ̄^ ̄)」

と、三成の出陣要請も無視して、一切戦闘に参加していなかったのです。

そうは言っても、仕掛けてくる東軍兵士はボコボコに、返り討ちにしましたし、決して西軍を裏切ったわけではありませんでした。

義弘にしてみれば、イザという時に一気に突撃して、大きな武功を上げてこれまで軽んじられてきた立場から見返してやりたいという気があったのでしょうが、結果的に〝イザという時〟は訪れず、かといって東軍に降伏する気にもなれず、関が原の中で孤立してしまったわけです。

もともと西軍で義弘率いる島津隊が軽んじられていたのは、総勢わずが1600人という勢力でした。本来、島津家の実力であれば1万人以上の兵力を動員できるのですが、前述したような本国の事情で、正式な派兵が出来ず、ここ関が原に集ったのは、有志による〝義勇軍〟のようなものなのです。

ただ、その島津軍の強さは、おそらく〝日本最強〟だったと言われています。

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