島津家の場合

「進めぇ~~!! ヽ(`皿´)ノ」

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という島津義弘の掛け声と共に、〝日本最強〟と言われる島津兵の部隊は家康おやぢの本陣に向けて突進を始めました。

「今頃、特攻かよ? ( ̄□ ̄;)!!」

迫り来る島津隊を見て、一瞬家康はビビりましたが、島津隊は家康本陣の前まで来ると、突如進路を南に変え、そのまま本陣を掠めるように走り去っていきます。

まさか帰り道が解らないから、正面に退却したとは思わない家康は、義弘におちょくられたと思って激怒し、

「義弘を生かして帰すな! ヽ(`Д´)ノ 」

と東軍大名たちに追撃を命じました。

戦闘が終結し、〝まったりモード〟に入りかけていた東軍大名たちは、突如下った家康からの命令に、慌てて逃げる島津隊を追いかけます。

部下を救おうとして、正面突破を敢行した義弘ですが、そんな義弘を慕って自費でこの戦場に集まった島津兵たちも、

「維新入道(義弘の呼称)様だけは、無事薩摩まで帰って頂けなければ! ( ̄皿 ̄)9」

という思いで、追撃してくる東軍兵士たちに死に物狂いで戦いを挑んでいきました。

中には義弘の振りをして敵を引き付ける者、あるいは逃げるのを止めてその場に座り込み、持っていた鉄砲でしっかり狙いを付けて撃つ〝ステガマリ〟と呼ばれる戦法で敵を食い止める者など、自分の命と引き換えに義弘を落ち延びさせようとしたのです。

この決死の脱出作戦が成功だといえるかどうかは微妙なところで、義弘は無事薩摩まで帰る事ができましたが、彼が率いていた1600名の兵士は、60数名にまで減っていました。

しかし、この死をも恐れぬ島津兵の強さは、家康たち東軍の大名たちは思い知ったのです。

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