石田三成の場合
石田三成は、家康おやぢとの再戦をする為に単身、関が原を脱出します。豊臣政権を守る為には、家康は絶対に倒さなければならない相手であり、三成は
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〝勝つまで、何度でも戦っちゃる! ( ̄皿 ̄)〟
と決心しているのです。
三成の脱出ルートは、関が原の北側にそびえる伊吹山の東側を抜けて北上し、ぐるりと回って琵琶湖の北側に出てから、京都辺りに潜伏する予定だったらしいのですが、前述のように決戦前日に降った雨で腹を冷やしてしまった三成は、合戦中もひどい腹痛と下痢に悩まされており、脱出の際も途中で体力を使い果たしてしまいました。
三成にとってラッキーだったのは、この付近が自分の生まれ故郷である近江に近く、土地勘とコネがあった事でしょう。
フラフラになりつつも、三成は古橋村(現在の滋賀県伊香郡)まで逃げ延び、そこで体力を回復させる事にしました。
家康にとっても、三成は絶対に見つけて殺してしまわなければならない相手です。
三成自身に再び兵力を集める事が出来ないとしても、三成を利用して天下を狙う大名が三成を匿ったりしたら、後々面倒な事になりかねません。
ですから、家康は関が原近郊の村々に、
「石田三成を探しちょる! 三成を見つけて確保できたら、その村は永久に年貢米を免除しちゃる! また、三成を匿ったりしたら、その村は全員処刑じゃ! ヽ(`Д´)b」
というお触れを流して、徹底した〝三成狩り〟を展開したのです。
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