細川ガラシャの悲劇
次に石田三成がした事は、
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〝家康おやぢに従って会津に行軍中の東軍大名たちの家族を人質として確保する〟
というものでした。大阪城の城下町には、有力大名の家族が暮らしていました。これは大名が地元で謀反を企てるのを防ぐ人質で、この習慣は後の徳川幕府にも引継がれていきます。
この時点で家康に付き従って会津に向かっている諸大名の家族を人質にしてしまえば、家康を孤立無援にする事が出来ますし、上手くいけば、その場で家康を討ち取る事も可能なのです。
しかし、戦国時代を生き抜いてきた大名たちは、こうした有事に備えて知恵の回る〝留守居役〟を家族と一緒に住まわせており、西軍の兵士たちによって封鎖されている城下町を様々な奇策使って脱出していきました。
ただ、丹波(現在の京都と兵庫の県境あたり)12万石の主である大名、細川忠興(ほそかわ ただおき)の正室・ガラシャ夫人は、城下町を脱出することなく、自害してしまったのです。
この細川ガラシャといわれる女性は、織田信長に対して謀反を企てた明智光秀(あけち みつひで)の娘で絶世の美女だったといわれています。
本来なら〝謀反人の娘〟などを嫁にしているのはマズイのですが、忠興はガラシャの美貌にベタ惚れで、離縁はしませんでした。
さらに秀吉が禁じたキリスト教にガラシャがハマって、洗礼まで受けてキリシタンになってしまっても、ガラシャを罰する事はなかったのです。
そんなガラシャにベタ惚れな細川忠興だったのですが、独占欲が異様に強く、前述の様に有事があったに備えて、大阪屋敷に済ませている留守居役の部下には、
「万が一、敵にガラシャが確保されるようなハメになったら、その時はガラシャを殺して、お主も死ね ( --)b」
と言い渡してあったのです。
忠興は普段からガラシャを屋敷から一歩も出さず、人目に触れる事すら嫌っていました。嘘かホントかはわかりませんが、細川屋敷の庭の手入れに来ていた植木職人が、うっかりガラシャに見とれてしまったのを発見した忠興は、その場で植木職人を手討にしたというエピソードも残っています。
そんな逸話が生まれるほどガラシャを独占したい忠興にとって、得体のしれない敵兵にガラシャが連れ去られる事など、想像しただけでも耐え難い事なのですし、屋敷を脱出させるというアイディアも、家臣の男にガラシャの体を触れさせる事を考えると、どうしても許せないのです。
忠興のそんな異常な独占欲を骨身に染みてわかっているガラシャは、西軍が大阪の大名屋敷を封鎖した時点で、自分の運命を悟っていました。
顔を見てはいけないと主人の忠興から言われている留守居家老の小笠原秀清(おがさわら ひできよ)は、襖の外から、
「ガラシャ様…」
と声をかけます。ガラシャは全てを察して、
「判っています。ただ私はキリシタンですから自殺が出来ません。お前が私を殺しておくれ」
と言いました。秀清はガラシャの言いつけに従い、襖の外から槍を使って背後からガラシャの胸を貫いたのです。
秀清はガラシャの死を確認した後、これも忠興の指示通り、ガラシャの亡骸を誰にも渡さない為に屋敷に火を放ち、主の正室を殺した責任を取って、燃え盛る屋敷の中で自刃しました。
三成の画策した大阪屋敷封鎖作戦は、主だった大名の家族の身柄を押さえる事も出来ず、細川ガラシャを死なせてしまった時点で、失敗だったと言えます。
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