伏見城炎上

そんな各大名の思惑をはらみつつ、石田三成は家康おやぢ追討に向けて、まず近畿圏に存在する〝家康派〟の城を攻め始めました。

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その中でも家康が大阪での拠点として使っていた伏見城の攻略には、宇喜多秀家が大将を務める4万の大軍が投入されます。その伏見城を守るのは留守居役の鳥居元忠が率いるわずか1800名あまりの人数でした。

城や砦というのは、もともと外敵を退けるための建物ですので、城や砦を陥落させるには、立て篭もっている兵力の10倍は必要だと言われています。

伏見城攻略の場合は、立て篭もる家康側の20倍以上の兵力が投入されましたので、

「伏見城なんか、あっというまに陥落じゃ! (・∀・)v」

と思われたのですが、留守居役の元忠以下徳川家の兵士たちは、もともとこの城で討ち死にする気満々で、決死の抵抗を繰り広げ、この攻城戦は思いのほか時間が掛かってしまいました。

もともと西軍には全軍を顎で操る事が出来るような〝ダントツのリーダー〟が居なかった為に、この伏見城攻略戦でも西軍の士気がイマイチ上がらなかったという説もあります。

結局西軍が伏見城を陥落炎上させるには10日以上の時間を要し、西軍は家康を追って近畿圏から中部地方へ侵攻していく予定は大幅に遅れてしまいました。

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