小山評定の裏舞台
異様な興奮と熱気と共に、豊臣政権の大名たちは〝徳川家の私兵〟になってしまい、ここに〝東軍〟が結成されたわけですが、実はこの小山評定には〝やらせ〟があったのです。
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小山評定が開かれる前夜に黒田長政が、福島正則の元を訪れたのはすでに述べましたが、長政はその時正則に、
「明日の評定、おそらく多くの大名が内府に付くか、三成に付くか、悩んでおるはずじゃ。 そこで、お主が一番に声を上げて、内府に味方する!と宣言するのじゃ」
と提案したのです。
長政は〝次の天下は家康のモノ〟と確信しており、家康の為に自発的に〝東軍の結束〟を画策していたのです。
政治的な処世術は、からっきし疎い正則に、
「三成は秀頼様を影で操って天下を狙っておるのじゃ。あの三成の野望を砕くのは内府殿しかおらん (-_- )b」
という論法を使ったと思われますが、正則の〝三成憎し〟の感情と〝秀頼様の為〟というポイントを上手く突いて、小山評定が開かれる前日から、正則に家康の味方をする宣言をさせる事を約束させていたらしいのです。
長政は豊臣政権で〝秀吉子飼いの家臣〟の筆頭である正則が一番に家康の味方をすると宣言すれば、迷っている他の大名も、雪崩式に家康の味方を宣言せざるを得ないだろうという〝群集心理〟を利用しようとしていました。
そして長政は、正則を説得した事を事前に家康に報告しており、家康からの信頼を得たといいます。
そんな〝やらせ〟があったおかげで、家康は評定の最初に
〝西軍に今から鞍替えしたければ、自由にしてOK! (・∀・)v〟
などという太っ腹な発言が出来たのでした。
ただ、山内一豊が自分の城と兵糧まで提供してくれる、と言い出したのは、家康にとって〝予想外〟だったらしく、
「対馬守殿殿! かたじけない!!」
と思わず叫んでしまったのでした。
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