家康出陣!
さて、福島正則や黒田長政などの東軍大名が、家康おやぢの命令どおり東海道をひた走り、三成を倒すべく西進している頃、家康は自分の領地である江戸の城に帰り、事態を静観し始めました。
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これまでの展開は、まさに〝家康の思い通りの展開〟だったのですが、
(思い通りに行き過ぎる…(-_- ))
とちょっと不安になってきたのでした。
豊臣政権の命令で会津征伐に来ていた大名を、小山評定で〝自分の家来〟にしてしまった家康でしたが、小山評定そのものが〝やらせ〟による群集心理を利用したもので、時間が経って冷静になった東軍武将が、
「ホントに西軍を攻めちゃって、大丈夫なのか? 俺って豊臣家に敵対した事になるんじゃないのか? ( ̄~ ̄;)」
と思い直して寝返る大名が出てくるのではないか、と思い始めたのです。
ですから、家康は先発させた東軍武将たちが〝本当に西軍と交戦を開始するまで〟、江戸で様子を見る事にしました。
そんな家康の心配したとおり、西軍の勢力下になっている岐阜近辺(現在の岐阜県岐阜市)を目前にして、東軍の進軍が止まってしまったのです。
しかし東軍の進軍が止まった理由は、家康が心配するような、東軍武将の〝心変わり〟ではなく、
「内府が出陣する前に攻撃開始しちゃっていいのか? (゜σ゜)」
という家康への気遣いでした。家康が思っている以上に東軍武将は家康に雌伏していたのです。
事情を知った家康は、
「お前ら、本気で三成と戦う気があるのか?! ワシが着くまでに砦のひとつも落としてみろ! ヾ(`皿´)9」
と使者を使って東軍武将を叱咤しました。
家康の〝お叱り〟を受けた東軍武将は、この時から死に物狂いで西軍に向かって攻撃を開始したのです。
その様子を知った家康はいよいよ江戸を経って出陣しましたが、徳川軍の主力が西進するのを三成に悟られないよう、全軍を二分して家康は東海道を、息子の秀忠は中山道を通って戦場に向かったのでした。
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