黒田如水の野望

黒田如水というじ~さんの名前はすでに登場しています。小山評定で福島正則を説得して〝やらせ演出〟をした黒田長政の父親ですが、「如水」というのは長政に家督を譲って隠居した後の名前ですが、黒田家の当主だった頃は「孝高(よしたか)」と名乗っていましたが〝黒田官兵衛(くろだ かんべえ)〟という呼び名の方が有名でしょう。

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秀吉の参謀として、秀吉の日本統一に貢献した人物でしたが、秀吉の九州征伐後に如水に与えられた領地は、豊前地方(現在の福岡県東部)12万石に過ぎませんでした。

秀吉子飼いの加藤清正や福島正則が20万石を越える領地を貰っていたのに対して、軍事参謀として常に秀吉の傍らにいた如水に対して、12万石という報奨は少な過ぎるという意見もありましたが、秀吉は

「官兵衛に100万石もの領地を与えたら、アイツが天下を盗ってしまうわ ┐('~`;)┌」

と言ったそうです。

秀吉に軍師として信頼されながらも、その才能を恐れられた男、それが黒田如水でした。

日本統一後、秀吉からその才能を恐れられている事を知った如水は、44歳という若さで、息子の長政に家督を譲りましたが、その後も朝鮮遠征などで活躍した隠居の身分とはいえ、まだまだ〝現役の戦国武将〟なのです。

そんな黒田如水は、秀吉の死を知った瞬間、

「また天下が乱れる! 今度は俺が天下を盗っちゃる! (・∀・)9」

と決意したようです。

如水は一番に天下を狙ってくるのは家康おやぢだと見抜いており、それに対抗して豊臣政権を支える大名が家康と死闘を繰り広げるだろうという所まで見通していました。そしてその〝家康VS豊臣大名〟の戦いは長期化するだろうとも予想しました。

当時、九州の自国領地に居た如水の戦略は、そうして中央で2大勢力が戦って両者がヘロヘロなった時点で、九州から兵を率いて攻め上り、家康も豊臣大名も倒して自分が天下を盗る、という構想を立てたわけです。

如水は、家康がいよいよ決戦の地、関が原に向かうべく江戸の城を出発した頃に、それまで自分の蓄えていた金蔵を解放して、領内の百姓などを集めて9000人程度の〝にわか軍隊〟を作り、九州内にある西軍大名の領地に攻め込み、次々と征服していきました。

いくら『関が原の戦い』に主力の兵士を出兵しているからといって、大名の城が百姓上がりの寄せ集め軍隊に、いとも容易く攻め落とされるほど守りが手薄なわけはありません。しかしそれが出来てしまったのは、如水の並外れ武将としての指揮能力があったからでしょう。

家康が関が原に到着するまでの一ヶ月あまりで、如水は今回正式な派兵をしていない薩摩の島津家は別として、九州にある西軍大名の領地の大部分を制覇してしまったのです。

そうして〝野望〟を達成するべく地盤を築いた如水はその当時最も早い〝通信方法〟である早舟を、各港

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